子供に勉強しろという、勉強しない大人達

今週こんな記事がバズりました。

「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」

… ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。 …

琉球新報社「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」5/5(日) 5:04配信

この記事が炎上しており、一般人のみならず、著名なインフルエンサーまでもが「いや絶対将来不幸になるから」と警鐘を鳴らしています。

さて、私個人としては、「普通じゃない人・物を持ってしか時代は進化しない。こういった生き方の先駆者になるかもしれないし、自己責任の範疇で好きなようにやっちまえ~い」という考え方なので、特段の批判ないのですが(とはいえ、この子の場合精神的な回避の意味合いで不登校を選んだのではなく、インフルエンサーになりたい親の道具に使われてしまっている要素が強いので、この子の将来にはかなりの危険を覚えます。)、批判の中に挙げられていた「ある動画」が私の心に刺さりました。

「 勉強すっと人生の選択肢が増えんねん 」

「京都大学の法学部出ることによって、色んな職業の中からマッサージ師になることを「選べた」んです。」

「小遣い1万円もらえば、2000円の物でも300円の物でも1万円の物でもなんでも買える、でも小遣い1000円しかもらってなかったら1000円までのものしか買えない」

この動画は昔から非常に有名で、私自身も色んなところで何度も見たことがあります。しかし、こうした「不登校、勉強の大切さ」が問題になっているときに見ると色んなことを考えさせられます。(本当になんでこんな鬼才を芸能界は干したんでしょう。干すべき人間なんてもっといくらでもいるでしょ?)

さて、前置きが長くなってしまいましたが、この一連の記事や、その後の炎上騒動を見て、ふと思ったことがありました。

「子供の勉強の大事さ」ばかりがクローズアップされるが、「大人の勉強の大事さ」を説く人ってあんまりいないよな。

ということです。

皆さんの周りに、「一日1時間以上勉強している大人」って何人いるでしょうか。私の周りにはほとんどいません。

私自身は「一日2時間以上の仕事以外の分野の読書、勉強、色々なビジネスアイディアの情報収集をする、サイドビジネスの運営をする」ということを毎日実行するように課しています。

私がなぜ勉強をするか、または本業以外の仕事のアイディアを考えたり、実行したりするか、それは正に紳助さんの言う通り「自分自身の選択肢を増やすため」です。

本業以外の勉強が本業につながってきたり、本業以外での収入を確保して、より良くお金を稼ぐことができれば、やはり紳助さんの言う通り「たくさんのお金を得れば、長年の夢をかなえたり、好きな物を買えたり、お金を時間に変えることで休息も取れるし旅行などにもいける」ということができるわけです。

大人だからとか子供だからとか、そんなのは全く関係ない。誰であっても、何歳になっても、未来の選択肢を増やすために、勉強をすることってのは大事なことです。

いくつになっても「勉強をすることが出来る」人間でありたい

でも、実際は「大人になると勉強をしなくてもよい」なんていう暗黙の了解がこの世の中にはあります。

理由としては「大人は仕事しているから勉強する時間が無い」なんてことがよく挙げられますが、子供だって学校で仕事=勉強をして、家でも勉強をすることを義務づけられているわけで、それで大人は勉強する時間が無いなんてのは言い訳にしかなりません。

そうした、現在進行形で努力を怠っている大人達が、子供に勉強しろなんて普通言えないよね?なんてことを、私は思っちゃったわけです。

勉強ってなんのためにするんだろう」「勉強をすることでどういうものが得られるんだろう」ということを、子供だけでなく、大人もしっかりと考える必要がある。今は亡き紳助さん(笑)も、きっとそういうことも含めて言いたかったんだと思います。紳助さんフォーエバー、アイホープトゥーカムバック。

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